6月19日(日) この日は、宿泊でお世話になっている仙台北教会の礼拝に出席させていただくことに。この日は「こどもの日(花の日)」の礼拝を子どもと大人の合同礼拝で行われました。

午後は愛餐会が行われ、ここで錦江幼稚園と明石教会教会学校の子どもたちの歌とメッセージを収めたDVDを見てもらえることになりました。



また、ぬいぐるみやうちわ等もお渡ししました。すると、こちらもお返しのプレゼントをいただきました。この日、愛餐会出席者に渡された子どもたち特製のしおりです。


ほかにも、たくさんの教会の方々とお話をできましたが、その中に「どんなにちいさいことりでも」というこどもさんびかの作詞者(菅千代さん)の方がおられるのには驚きました。DVDをご覧になってとても感激したという感想をいただきました。

ここ仙台北教会もまた、礼拝堂のガラスが割れたため、応急でアクリル板を張られたということですが、その処置が済んで礼拝を守れるようになったのがこの日からだということでした。また、関係者の中には津波による犠牲者の方もおられ、また、家が全壊したお宅や職場を失われた関係者もおられ、仙台北教会の小西望牧師曰く、「宮城県で今回の震災に関係しない者はいないんじゃないか」という言葉をわたしも自分の周りの人々に伝えていかなければと思わされました。
6月20日(月) この日は早朝から福島県に行きました。以前のブログで紹介した庄司さんの軽トラに乗せていただき、わたしのガイドも兼ねた一日のプランを考えてくれました。
この「福島入り」については、丁寧に報告したいので、後日まとめたいと思います。ここでは訪問先のことを中心に報告したいと思います。
まず、「20km」の境界線ギリギリのところで食堂を経営されている「はなぞの」を来店、ぬいぐるみとうちわ等を受け取っていただきました。
その後、真野小学校というところを訪問させていただきました。といっても、本来の校舎は津波の被害で使えず、仮の施設にみんな通っているということです。

左端の方が新井川校長、ちなみに庄司さんは右から2人目の若い先生のファンだそうです。
次に、庄司さんが個人的につながりを持っておられるお方の仮設住宅を訪問できることに。避難所でもそうですが、特に仮設住宅ともなるといきなり訪問なんていうことはなかなかできません。これは、庄司さんがずっと福島で行動され、つないでこられた関係性があってのことです。この日はお米と「部屋干し用」の洗剤を渡されることに。仮設に移ると避難所にいるときのようには物資の配給を受けることができなくなりますので、これからも物資は必要とされるわけですが、お届けするのにも関係が築かれていないと難しいわけで、そこに「部屋干し用」というこれからの季節を考えたお届け物は非常にグッドだと感心しました。相手のニーズを聴き、また想像する、こうしたことが継続的な支援へとつながるのだと思います。

草野さん(左)、稲荷田さん(中央) こうした写真撮影を快く受けてくださるのもこれまでの庄司さんのかかわりあってのことです。
次に、一気に南下していわき市へ。ただし一直線にではなく、「ブーメラン状」に移動。放射線量を考えてのルートです。福島県では風向きもそうですし、山麓の位置によっても放射線量が違うということがよくわかりました。
まずは「ほうとく幼稚園」を訪問。生駒副園長先生はとても元気で、メリハリもあり、しっかりした方でした。贈り物もとても喜んでいただきました。ただ、現状の放射線の影響による幼稚園の対応には非常に苦慮されていることが伝わってきました。いわき市は一部北側の地域以外は「比較的」線量が低いということですが、それでも年齢が低いほど放射線から受ける感度は高く、園庭で園児たちを遊ばせることができない状態が続いています。この件については、また詳しく報告したいと思います。

生駒副園長(中央)、庄司さん(右)
次に訪問したのは「かしま幼稚園」。ここは幼稚園敷地の裏山も遊び場となっているとても素敵な環境をもった幼稚園だったのですが、ここでも園児たちは外で遊べていません。新妻園長先生は、園庭の一部でもいいから砂をたくさん盛って、線量の低い「クールスポット」をつくり、そこで遊ばせたい、というようなことをおっしゃっていました。ただ、砂を調達することも今はできない状態だということです。かける言葉が見つからないような気持ちにさせられるのですが、「砂の調達」という具体的なニーズを聞けただけでもよかったのかなと思います。

職員室の先生全員が出てきてくれました。このノリはすごい!園長先生(左端)のお人柄かな。
次に明石教会と同じ教団に属するいわき教会および聖風幼稚園を訪問しました。

これでこの日の訪問は終了。
6月21日(火) この日は実質動ける最後の日。仙台入りした当初に、日持ちがしないであろう明石教会員手作りのバナナケーキを早くお届けしたいと思っていたところ、石巻で活動しているチームがかかわりを持っている避難所があるということで託したわけですが、その避難所を一度訪問したいという願いがあり、この日伺うことに。明石からのぬいぐるみやクッキーを入れての巾着袋、西宮公同幼稚園というところの手作りのパン、エマオからの干物、様々なお届け物を携えての訪問になりましたが、朝、出発する直前に「虫よけネット」が喜ばれるみたい、という情報を得て、それも途中で購入していきました。すると、この「虫よけネット」を受け取られての喜びようはすごかったです。避難所にはクーラーなどもちろんなく、窓は開けっ放しにしておられ、網戸もないことからハエ取り紙は吊るされたりしているのですが、それでも虫が室内に半端なく入ってくるということで、この「虫よけネット」は本当に望まれているものでした。その喜んでくださった様子をカメラに収めたいと思ったのですが、その日初めて訪問させていただいたという関係性から自粛いたしました。
さて、その石巻からまた仙台に戻ることに。この日、わたしも派遣していただいている日本基督教団兵庫教区から派遣されてくる兵庫教会の橋野牧師夫妻が仙台入りされるということで、半日ガイドをすることになっていたからです。そして、橋野ご夫妻を乗せて再び石巻に行くことになり、一日に仙台―石巻を2往復したわけですが、その合間に、「北仙台幼稚園」という幼稚園を訪問しました。ここは、ほし組の藤田和奏ちゃんのお友達がいるということを聞いていて、時間があったので(この日しかなかった)伺いました。時間は午後1時40分頃、ちょうどお帰りの直前で迷惑かなと思いましたが、対応してくださった先生が保護者の方につないでくださり、お迎えの時に会いたいということに。
待つこと数分間、大瀬リュウトくんという子のお母さんが来られ、この訪問をとても喜んでくださいました。聞けば、はと組のそうしくんやみひろちゃんともお友達なのだと。幼稚園の園長先生も紹介していただき、よき出会いの場が与えられました。

園長先生(左)、大瀬リュウトくんのお母さん(右)

リュウトくん(左)
6月22日(水) この日で派遣期間は終了。今「エマオ」でこのブログの記事を打っています。今から明石に向けて帰ります。今回得た経験、知り得たことは、明石に帰ってからゆっくりまとめ、そして皆さんに報告できればと思います。これで東北からの活動報告を終わります。