2013年01月17日

「あの日」から18年

本日は、「あの日」から18年を迎える日でした。
このことを覚えて、先日、明石教会で子どもと大人で共に守った礼拝においてお話をさせていただきました。

一人ひとりはとても小さい、そして、その一人ひとりにはそれぞれの心があり、同じ気持ちというものはないのだけれど、その心が通じ合ったと思えたとき、それは「チカラ」となるということを、あの18年前の出来事は教えてくれているという思いを込めて。




「ちっぽけな自分」マタイ25:35〜40

先ほどお読みした聖書の中に、「最も小さい者」という言葉が出てきました。この「最も小さい人」というのは「一番小さい人」、どんな人のことでしょうか?小さいということでいえば「子ども」、最も小さいということなら「赤ちゃん」ということかといえば、そうではありません。

聖書に書かれていた「最も小さい人」というのはこういう人たちのことだと思います。

食べ物や水がなくて困っている人や、泊まる場所や着る服がなくて困っている人、こういう人たちはとても貧しくて、しんどい生活をしている人のことだと思います。
また、病気をしている人、牢屋というところに入れられてしまった人、こういう人たちは体や心がつらいということもありますが、それだけでなく、みんなと一緒の生活ができず、一人ぼっちでさびしい人ということだろうと思います。

こうした人たちが「最も小さい人」というふうに書かれていたのだと思います。そして、イエスさまは、そのような人たちのことを助けたり、なぐさめてあげたりした人のことをとてもほめられ、「それはわたしにしてくれたことなんだよ」とまでおっしゃったということでした。

こうしたイエスさまのお気持ちを知り、自分も困っている人を助けたり、さびしい人をなぐさめてあげられる人になろうと思うことは、とても素敵なことだと思いますし、大切なことだと思います。
でも、イエスさまからほめられた人たちは、「いつ、わたしたちがそんなことをしたでしょうか?」といったということでした。どういうことでしょうか?

ぼくは、自分がしてもらったことを忘れることはあっても、人にしてあげたことは、なかなか忘れなかったりするので、イエスさまからほめられた人たちが、どうして自分のしたことを忘れたのかな、そんなことあるのかなと思ったのですが、そこで、「震災」という出来事の中での自分のことが思い浮かびました。

もうすぐ1月17日、18年前のこの日に、阪神・淡路大震災という自然災害が起こりました。あのとき、ぼくは2ヶ月ほど神戸でボランティア活動をさせてもらいましたが、そのときのことを思い出すと、自分は何かできたのかな、という気持ちになります。

大きな地震でまちがめちゃくちゃになっていて、それこそ、お腹を空かせている人、のどが渇いている人、住む家が壊れてしまった人、着るものを失くしてしまった人がいたと思います。それで、何かお手伝いをしたいと思ってボランティア活動をさせてもらいましたが、困っている人はたくさんいましたし、自分の力はとても小さかったので、自分にできたことはほとんどありませんでした。
「自分はちっぽけだな」と思いました。

そして、2年前の3月11日、東日本大震災が起こりました。このときは、2週間足らずでしたが、ボランティア活動をさせてもらいました。
このときの地震では大津波が起こり、東北地方の海に近いまちはめちゃくちゃになっていました。
このときも、自分の力はとても小さく、ほとんど何もできずに帰ってきたと思っています。

やっぱり、思ったのは「自分はちっぽけだな」ということでした。イエスさまがおっしゃった「最も小さい人」というのは、実は、自分のことなのかもしれないなと思います。でも、こうも思います。被災地にはたくさんの小さい人がいた、それは地震の被害でつらい目にあった人、困っている人もそうだけれど、その人たちのためにできることをしようと集まった人たちも小さい人たちだった、みんな小さかったのではないかなということです。

自分も小さい、出会う人たちも小さい、そのお互いに知らない者同士があいさつをする、「おはようございます」「こんにちは」、知らない者同士だけれど、自然と笑みがこぼれる、そして、もう会うことはなくて、お互い忘れてしまう、そういうものなのではないかなと思います。

地震でのボランティア活動で思い出すのは、小さい人たちがたくさんいて、そして、自分も小さかったということです。
posted by staff at 23:42| 園長より